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子ども達の未来を守るために

子ども達の未来を守るために

自民党結党の世界史的意義

自民党結党の世界史的意義

◎自民党が果たしてきた歴史的役割
・日本の国体である天皇制(天皇を中心に国民皆が家族)を共産主義から守り、全世界を共産主義にしようとする動きを止め全世界を救ったこと。
・敗戦後の日本の復興を支え、今日の平和で豊かな社会を築き上げたこと。

1.日露戦争・大東亜戦争の時代から自民党結党まで
19世紀終わりから20世紀初頭におけるロシアの国家戦略は、伝統的な南下政策として、不凍港を手に入れることにあったが、日露戦争において日本が勝利し、満州の権益を手に入れることとなった。
その後、ロシア革命が起こり、ロシアはソ連となったが、日本に敗れた民族の傷と満州の奪還は、ソ連共産党に引き継がれることとなった。
 アメリカの歴史は、東部の13州から始まって西に拡大して太平洋に到達し、その後太平洋全体を手中に収めるためにハワイを領地とし、フィリピンを支配下に置いた。アメリカは、日露戦争に日本が勝ったことを脅威に感じ、対日戦争のためのオレンジ計画(対日軍事戦略)を立てた。これが大東亜戦争につながっていくことになる。
 1900年、清国で義和団事件が起こり、日本は連合国に要請され、鎮圧目的で清国に入り、北京に駐屯した。これは条約にもとづき「合法的に」軍を進めたのであって、侵略ではない。その後清朝は倒れ、治安が悪化し、日本は中国大陸における権益と東アジア地域の平和維持のために、中国大陸に軍を展開するようになった。これを喜ばないソ連共産党やアメリカは、裏で国民党や中国共産党を支援し日本軍に向かわせ、事態は日中戦争へと発展した。
この頃日本国内では、ソ連共産党の工作により、海軍、陸軍の青年将校の間で共産主義の影響を受けた、天皇を中心とする社会主義国家を目指す考えが生まれ、官僚組織内部にも社会主義が浸透していった。これがいわゆる国粋主義といわれるものである。
 2・26事件、5・15事件では、愛国心のある政治家・総理大臣経験者がこの国粋主義の軍人によって多数殺害されたが、昭和天皇の英断により混乱は終結に至った。
近衛文麿は、共産主義思想にかぶれ、国家総動員法、大政翼賛会等の統制経済に突入し、戦争資金を国民から調達して、国民を疲弊させた。そして総理大臣辞任後の昭和20年12月に服毒自殺を行った。近衛文麿は、大東亜戦争開始前後に首相として日本国を社会主義体制に導いたことを自ら反省し近衛上奏文を昭和天皇に上奏している。
 ヤルタ会談において、ソ連は8月19日に北海道から日本に上陸することを決定していた。しかし、天皇陛下のご聖断により、8月15日に日本はポツダム宣言を受諾し、ソ連軍の侵略による共産主義化を免れた。
ソ連はさらに朝鮮戦争(1950~53年)を引き起こし、中国から朝鮮半島を南下し、日本を共産主義化しようとしたが、失敗に終わった。

2.自民党結党から今日まで
モスクワにあるコミンテルン(1919年に結成された共産主義の国際組織)は、日本国内に共産主義政党を作り、共産主義国家を合法的に作ろうとした。1950年代はじめに日本社会党ができ、日本共産党と合同して翌年の総選挙で左翼政権を樹立しようとした。その時日本の保守勢力は、吉田茂の自由党と鳩山一郎の民主党があった。鳩山一郎は社会党右派との合同を考えていたが、三木武吉により阻止された。
大東亜戦争開始前後に日本国が社会主義体制になり悲惨な戦争を継続した反省と、ひたひたと迫る共産主義勢力を日本から排除する大きな目的の上に、1955年自由党と民主党による保守合同で自由民主党が成立した。自由民主党の立党宣言には、社会主義的共産主義的独裁政治を排除する旨記載されており、これこそが自民党を立ち上げた一番の理由である。翌年の総選挙で、自民党は大勝し、安定政権を樹立した。
 次にコミンテルンは、安保改定の1960年に大牟田炭坑、夕張炭坑で労働争議を起こし、国会と官邸を20万人のデモ隊で取り囲み、その動乱を全国に繋げ共産主義クーデターを意図したが、失敗に終わった。この様にモスクワ・コミュンテルンによって執拗に繰り返された共産主義化への画策の危機を自民党は乗り切り、池田勇人首相の時代に、高度経済成長が始まった。
 1980年にゴルバチョフ、エリツィンが来日し、日本とソ連の経済を比較し、日本の工業立国としての素晴らしさに愕然として自由化(ペレストロイカ)を始めたことが、ソ連の崩壊につながった。
 米ソは冷戦時代に核の力と力で戦おうとしたが、日本は自民党が自由主義を護り、繁栄の道を進むことで、戦わずしてソ連を崩壊せしめ、東アジアの共産化を防ぎ、全世界の共産主義化を画策していたコミンテルンの野望を打ち砕いた。現在の共産主義国家の悲惨な状況を見れば、自民党の先輩たちと自民党の果たしてきた世界史的役割はいかに賞賛しても賞賛しすぎることのないほど計り知れない大きなものであり、後世に末永く語り継がれるべきものと言わざるを得ない。
ゴルバチョフは来日の際に、「日本の工業化と共に、賃金格差の少なさに驚いた。これほど、社会主義が成功した国家は他にない」と発言したが、それは誤解である。日本の賃金格差の少なさは社会主義によるものではない。社会主義・共産主義は、女性は家庭から出て労働者として社会に出なければならないとする、家族制度を崩壊させる思想である。日本の歴代天皇は、建国以来2600年以上にわたり、日本全体を一つの家族と見て、神に国民一人一人の幸せを祈ってこられた。よって日本人の心の奥底には皆家族という思いがあり、極端な貧富の差は受け入れられない。例えば兄弟に貧富の差があれば、富める方が貧しい方を助けるのが家族として当たり前のことであり、これを国家全体として行っているため、日本は賃金や経済の格差が少ない。二千年以上前に日本人の叡智によって創られた国家家族体制が、百数十年前に欧州人によって考案された国家制度よりも遙かに優れたものであることに日本人自身が刮目すべきであり、厳に戦後これを守り続けた政党が自由民主党であることを、何よりもまず我々自民党に属するものが誇りとしなければならない。
大東亜戦争当時、日本人は家族として一つの心になり、強大な軍事力を持つソビエト・アメリカに対抗し戦い、アメリカは対日戦争で最大の死者を出した。それは今まで経験したことのない被害であったため、彼らは日本人の強さに脅威を感じ、二度と日本が立ち上がることができないようにするため占領政策を通じて日本弱体化政策を行った。そして日本人の強さの源泉である家族制度を破壊しようとした。この日本の弱体化を意図する占領政策を克服すべきことも、自民党の「立党宣言」に並立して掲げられた「党の使命」に現されている。
今日の夫婦別姓、ジェンダーフリーなど考え方は共産主義に血脈を通じ、家族制度の破壊、国家の存亡につながる大問題である。自民党は日本のそして全世界の共産化を防ぎ、日本の国体を守ってきた誇るべき政党である。現在の日本の政治において、日本を守る保守政党は自民党以外にない。そのことを自民党の先生方にはしっかりと理解していただき、逆風下にある今こそ立党の精神に立ち返って、日本の国体を守って欲しい。
以上


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